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◆サラウンドに開き、身体に迫りくる浮遊感あるオフィス

九段に建つ12階建てのオフィスビルである。皇居を望む南側、九段ハウスのある西側は富士山まで眺望が開け、圧倒的な眺望に恵まれた立地であった。南側、西側、そして接道面である北側の3面を開くように東側にコアを寄せ、天空率により正方形に近い平面で縦に高さを積むことにした。上層階は特に皇居側、武道館への眺望も得られるので、スキップフロアとし、ワンフロアの中で眼下に広がる風景など様々な視点からのバリエーションある眺望を得られるようにした。一方、下階は 九段ハウス側 の庭を望めるように、なるべくサラウンドに開口を取るように工夫し、テラスも九段ハウス側に設けた。当初、クライアントとの間でレジデンスにするかオフィスにするかという議論があった。どちらもプランニングし、検討の結果オフィスとすることになった。コロナ禍の中、在宅ワークも増えている時期で、オフィスのあり方が大きく変わるタイミングであった。レジデンスとしても魅力的な立地だけれど自社ビルを売却する会社も出ている中で、私自身も小中規模程度のオフィスはニーズが高いのではないかとの思いがあった。コロナ以降、人が集まりたくなるオフィスとして、効率よりも空間性が求められ、ここにしかない魅力を持ったオフィスとすることが命題と考えた。丸の内に立ち並ぶオフィスビルのように大型のオフィスビルではこのような都市の眺望を持つビルはあるが、小さな平面で遮るものなくサラウンドに開き、身体に迫りくるような浮遊感のある体験はなかなか得難い。
 テラスの手すりに合わせた1100mmの高さの腰壁を回し、外から見るとシンプルな腰壁と開口部の積層だが、上層階ではこの腰壁の高さまで一部床をあげスキップフロアとしている。解放性をより強調するため建物の水平開口のコーナーから柱を抜いた。腰壁は大きなトラス梁となり柱梁のフレーム構造を取り巻くような構成だ。井桁の梁に対し中央は対角の2本の柱のみとし、室内空間は独立柱を1本だけに限定した。階高をなるべく確保するために天井の梁はあえて半分表し、フランジにライン照明を置き、アンビエント照明としている。細長いビルを見上げた時に見えてくるのは主に天井面、外壁と天井がビルのファサードとも言える。井桁の梁と照明がこのビルの表情となって、今後各フロアのプランが変わったとしてもビルの表情を保ち続けてくれる。外壁は波型のECPで微妙な陰影を持っている。下の階から空に向けて撥水材の色を変え明度を暗から明に変化させている。各階の外部とのコントラストが変化するとともに、外から見た時に上から光を浴びているような印象を与えることで、下から見上げた時の印象を和らげている。

​​永山祐子

◆並列状態の設計

意匠的な説明は前段で永山がしているため、担当者としての当時の設計背景や意匠設計の視点について記録する。物件の話をする前に永山と担当者の役割と関係の話をしたい。大きく分けると役割は二つある。永山はハンドルを握り方角を決める役割としたら、それを決定できるような付帯情報を集めてまとめて伝えるのが担当者の役割だ。この関係は多くの設計事務所に当てはまることだと思う。少し変わっていることを挙げるとすればはよっぽど的外れな情報集めをしない限り、永山は担当者にこれをやれ、あれをやれというのは多くを語らない。出てきたモノに対して、テーブルを挟んで考えだす。担当者からの情報共有もその物件の現象の一つとして考えているかもしれないし、担当者の意向を尊重してくれているのかもしれないが真意はわからない。永山事務所の作品は担当者の趣味や思考は他の事務所よりも滲み出てきやすいのかなとも思う。そのことを踏まえて、改めて今回のESCON九段北の意匠設計の視点や設計背景で僕個人が考えていたことを記録したいと思う。

 2020年の8月頃、同時期に施主から3つの建物の高層の依頼がありそれらを同時期に進めていくことになった。​高層建築物は一層の建設コストを考慮しながら設計を検討しなければならず、一つのアクションで建築コストの影響が大きいため経済性に配慮した慎重な設計方針が求められた。加えて、建材の高騰もあり同3物件の設計の方針を決めるのは難儀した。”この程度意匠的な攻め”であれば、コストにおさまるだろうという幾つか建物を設計した経験則が進めるにあたっての重要な基礎となった。 中でもビルの主要な割合を占める鉄骨の値段が前年度から1.2-1.4倍くらいに推移しており、高層の建物にとっては大きく影響を起こしそうということや半導体不足による設備機器の品薄状態など不安を声に出そうと思えばほとんどすべての材料の高騰が予想された。​そんな時期がしばらく続いていく中で、この建物のコンセプト(方向性と言ってもいいかもしれない)を考えたときに施主、用途、ビルディングタイプの観点からまず優先するべきは経済性の中から合理的に意匠性を見出していくことが重要であると感じた。何でもかんでも綺麗にして整えるというよりは、少し肩の力を抜き居心地の良い"雑多さ"を残すようなイメージとも言えるかもしれない。普遍的や経済的であることが僅差で勝ち、意匠性がその隙間を埋めていくような状態が理想なのではないかと考えていた。脳の中では、多木浩二の”俗なる家”と篠原一男”聖なる家”がループし、少し強引な言回しだが、3:7もしくは4:6くらいで普遍的、経済性>意匠性となり、記号(アイコン化)を持ちながらながらもそれを普遍性が打ち消し、普遍的でありながら何かの違和感があったりするような状態を個人的に目指すことにしていた。意匠的に説明を行うとすれば土地特有の眺望、井桁の柱配置、連続する窓、外壁のグラデーション、半分表しにした梁、梁に設置したライン照明、1100mmの段差は特徴的ではあるとは思う。しかし一番やりたかったことと言われるとどれも並列的でヒエラルキーはなく、どれも重要なのだ。普遍的でありながら異なるベクトルの意匠がバラバラと乱立している状態を目指した。これから利用者に受け継がれると、意匠の幾つかを複合的に考えるかもしれないし、他のモノとの関係を考えるかもしれない。はたまた我々が予想をつかないような使われ方(コト)もするかもしれない。いくつかの意匠の使い代を設け、あらゆる方向から誘発することである種の“雑多さ”みたいなものが生まれるかもしれない。

雨宮脩大

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